慶應卒ブロガーが、たった1人でも中学受験をした理由。

こんにちは。

 

昨日、天狼院という素敵本屋の方々の執筆記事を読み、感化されまくってエッセイが書きたくなったなおです。

ということで(唐突)以前書いた「高学歴が言われる、スペック高い、への違和感〜」の記事の反響として、「そもそもなんで中学受験したのかが知りたい。」ともらっていたリクエスト、そのままエッセイにしてお答えします。

いつものブログみたく見出しなんてありません。本です。エッセイです。さあどうぞ。

 

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退屈しない場所って、あるのだろうか。

給食を食べたあとのけだるい午後の社会の時間、私はいつものようにそんなことを考えていた。

こんなふうに授業を受けることを、あと何回、続けなければいけないのだろう。

 

中学受験という仕組みがあることを知ったのは、偶然だった。「埼玉の公立小学校の中では1番」という程度には頭のよかった私に、クラスメイトが教えてくれたのだ。受験というものをすれば、このまま周りと同じように地元の中学に進むことなく、もっと難しい勉強のできる中学へ行けるらしいのだ。5年間、日々の授業で一番に解き終わり、「廣瀬天才〜」のコールを受け続ける日々に、とっくに飽き果てていた頃だった。

 

もともと自分たちの経験から、「娘は絶対私立に入れたい。」と考えていた両親は即座に賛成した。すぐに、歩いて50歩の場所にある、「江藤塾」に入ることになった。この塾で私は中学受験の1期生だった。

 

中学受験時代を思い返して一番に出てくるのは、漢字を1つにつき10個ずつ、四則演算を毎日20個ずつ、ノートに書いていた記憶である。学校の宿題を10分で終えていた私にとって、塾の先生が課すその2時間の勉強はとても長く感じた。毎日頭を漢字が飛び交った。

 

このあたりから、学校と習い事で完結していた退屈な世界が色を変えた。難しい問題が目の前にあり、知らないことがあればあるだけのめりこんだ。学校にはそんなものはなかった。周りのクラスメイトの話は耳に入らなくなり、学校にいる時間はどこか別次元に感じた。塾と勉強の時間だけが、私にとって退屈を感じなくてすむ、意味のあるものだった。

 

塾で私をつきっきりで見ていたのは、梅木先生という、ひょろっと背が高く、一橋卒業の、まだ若いがベテランの先生だった。そんな彼にとっても、中学受験の生徒を預かるのは初めてのことである。「最近夢によく君が出てくるよ。」と彼に言わせる程度には手を焼かせていたようだ。彼と私は毎日半日以上の時間を共にしていた。

 

模試の点数は常に悪かった。国算理社のうち、国語しかできなかったのだから当然である。算数に関しては毎日一行ずつ、黒板の意味を先生に紐解いてもらっていた。

 

そうこうしているうちに5年生の夏休みに入った。夏休み初回の授業で梅木先生は私に400字詰め原稿用紙を渡した。記述の練習でもするのかな、という考えはこの後大きく裏切られることになる。この原稿用紙と一夏かけて格闘し、戦友になるなんてまだ思いもしなかったのだ。

 

 

 

ってここまで書いて1,200文字くらいらしい。

 

エッセイ、ブログより注意すること多くて時間かかるぞ。でもこれ楽しいぞ。もっと書きたいのに見出しで区切らなきゃいけないブログに飽き気味だったから楽しかった。

 

これ続き書くのかな、読みたい人いる?

また書きたくなったら書くぞ。

んーでも次はもっとフィクション書きたいなー。

 

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じゃあまた。

なお