私は人生を通して「素敵な勘違い」をし続ける。
こんにちは。
今日旅先でとてもいい出会いがあったので、なにかいいことを書きたくてしょうがないなおです。
そこで今回、ある人から教わりいつも意識下にある「不幸な勘違い」「素敵な勘違い」の生き方のことをシェアします。
- 「不幸な勘違い」「素敵な勘違い」とは
- 普段どんな「素敵な勘違い」をして生きているか
- 「そんな素敵な勘違いできない」?
- なんで素敵な勘違いをし続けるのか
- 自分の大事にしていることを、素敵な勘違いにしよう
「不幸な勘違い」「素敵な勘違い」とは
不幸な勘違いは、自分はモテない、なにをしてもうまくいかない、運が悪い、自分なんてできない、自分はだめなんだと思って生きること。
素敵な勘違いは、自分はモテる、なにをしてもうまくいく、運が良い、恵まれている、自分はできるんだと思って生きること。
ある人からこうやって教わりました。
それまでも似たようなことを様々な本で読んだことがあったのですが、わかりやすかったので自分にこの言葉でインプットし直したのです。
普段どんな「素敵な勘違い」をして生きているか
「私は目の前の人の役に立て、その人の人生を大きく変える力と心を持っている。」
これをよっぽど嫌いな人の前でない限り、いつも思った上で実行しています。この力はすごいです。
大学生活でなにをしたらいいかわからない、サークルもなじめなかった、なんとなく海外には興味ある、みたいな後輩の悩みを聞いたら。私の人生を変えた海外プログラムや長期インターンのことを話し、そのあと秒でラインに送ります。もちろんなんでおすすめなのかもしっかり書いて。
年齢とかも全く関係なくだれにでもやります。今であれば、SNSやキャンペーン、広報関連にまで手を回せず困っている飲食店責任者の方に対して、すぐ店内に貼れる仕様に仕上げたキャンペーン告知やお客様アンケートなどを1日1つくらい作っては送っています。
「そんな素敵な勘違いできない」?
でもこう書くと、それは私だからこんなに人の役に立てて、自分にはそんないろんな人の役に立てる情報や経験なんかない、って、こう思う方いると思うんです。
それ、本当にそうでしょうか?
逆に、あなたは、目の前の人にひとつたりとも役にたつ可能性のある情報も経験も話すこともできないような人生を送ってきたのでしょうか?
たぶん違う、いや違うと断言します。
パッと相手の役に立てることが思い浮かばない人は、役にたつことを思いつく練習が足りていないだけです。それか最初っから自分はなにもできないと決めつけている人です。
例えば。相手が学生だとしたら、社会人の自分の話って基本的に新鮮で世界を広げるわけです。それが失敗談でもくだらない話でもなんでも。相手が新しいことに物怖じするタイプだったら、自分もこれはめっちゃ怖かったけど、勇気を出してやったら案外簡単だった、みたいな話は大きく勇気を与えられるはずです。相手がなにか悩んでいたら。聞いてあげるだけでも救いになります。多くの場合、解決策なんて求めてないことも多い。ただうなずいて親身に聞いてくれる人が必要なんです。
要は、自分の持っている情報、経験、人脈の中から、相手が1人ではたどり着けず、自分がこれ紹介したら、こういうことしたらためになるかも、と思えるものを全部出しまくる。
なんで素敵な勘違いをし続けるのか
私は人の役にたつことが一番嬉しく、生きがいを感じるタイプです。「そんなのあるの!知らなかった!」と目を輝かせる顔を見るとすごく嬉しい。実際に紹介したものに相手が行ってくれ、律儀に感謝の文面や感想を送ってくれるのなんてもうすっごい嬉しい。
「やってくれる人いなくて困ってた。助かった。ありがとう。」「なおにやってもらえてよかった。またお願いしたい。」「なおちゃんが言ってくれたおかげで、頑張れた。」そういうことを言われる場面がどんどん増える。世界に自分が役に立てる場所、人が増える。
ここにきて、素敵な勘違いは勘違いじゃなくなる。現実になる。素敵な勘違いをして生きている現実はとても生きがいに満ちている。
私の日常は、いつかした紹介や人をつないだことへの「ありがとう」がどこかから日々帰ってくる世界です。
自分の大事にしていることを、素敵な勘違いにしよう
自分のあらゆる面に対して全方位素敵な勘違いをするのは難しいかもしれない。(私はちょっと無理です。)でも、自分の大事にしていることに関してくらいなら、できるんじゃないかと思う。それが私の場合、「私は目の前の人の役に立て、その人の人生を大きく変える力と心を持っている。」なのです。
あなたが今日からする、素敵な勘違いはなんですか?
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じゃあまた。
なお